STILL CRAZY

病気と芸術のギリギリをゆく

死にたくなる夜 vol.1

 

朝方、目が覚めるのはだいたい12時くらいで、親は心配そうにこちらを見ている。

「学校は?」と聞かれても、「今日は午後からなんだ」というだけで終わる。

 

それで、明らかに間に合わない時間に家を出て、学校なんて行かずにパチ屋に行く。僕の大学4年間はそういうことの繰り返しだった。僕はみるみるうちに太り、大学へ行く回数も少なくなり、(それでも多少は行っていたので0単位ということはなかったが)大学から封筒が届く始末となった。

 

父は、トイレに入っていた僕に呼びかけをする。

「なあ、大学からこんな通知がきてるけど、どうなってるんだ?」

「え?」と、さすがに内容まで読めない僕は、単位が足りないなんてことはないと思っていた。

 

しかし、現実は厳しく、単位は足りていなかった。大学三年生の時に取った単位は「9」だった。ゼミを除けば、「5」だった。ほとんど授業は出ていなかったし、危機感もなかった。

父は心配する様子で「大丈夫なのか?」と言った。

「なんとかするよ」と言った僕であったが、4年生の時にフル単を取らなければいけない状況だったので、もうやるしかないという決心ができていた。

 

「やるしかないって、そんな簡単な話じゃないだろ」と父から返されたが、それでも「やるしかないんだから、ちゃんとやるよ」と言い返した。

自信なんてものはなかったが、さすがに留年はやばいと思った。留年には莫大な金がかかるし、親に迷惑をかけたくなかった。ただでさえ、定期代とか携帯代とかも親に出してもらっている身なのに、留年なんてしたら親に顔向けできないと思った。

 

僕にとってそれは、とても重要な年だった。

まず、必ず授業へは参加して単位を取らなければならない。1つも落とせない状況だし、卒論もあるし、就活もある。今までラクをしていたツケが回ってきた。

 

それからというものの、僕は授業は参加し、単位を取ろうと努力をした。なるべくラク単を取ろうとして、教授の感じとか授業の評価をチェックした。それでも、フル単をとることには変わりなく、親はYahooの知恵袋で検索をかけて「そうとう辛いんじゃないか?」と僕に言っていた。僕もそう思っていた。けど、やるしかなかった。

 

結果、僕は卒業した。(留年になった方が面白かったたって?)

なんとか、なんとか卒業した。けど、就職先は未定だった。ゼミの先生は優しく、適当な論文でオッケーにしてくれた。今思えば、あれは論文じゃなくてエッセイだったけど、通ったからいいんだ。

 

(つづく)